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傘鉾

傘鉾とは

 祭礼に用いる飾り鉾。大きな傘の周囲に織物を垂れ、總を飾り、傘の上に花卉、器物など載せ、心棒をもって歩く。 各踊町ごとに持っており、町の者は何人たりともその前に行くことは許されない。その意匠は町により異なり、さながら町のプラカード的な役割も果す。

 長崎の傘鉾は当初はいたって単純なものであったが、江戸中期以降各町で競い合うかの様に飾りは大きく、垂れは長くなり江戸の後期にはほぼ現在の形態になったようである。地方の傘鉾に類する物は昔の形態をそのまま継承していたり、現在では台車に乗せたものもあるようだが、長崎の傘鉾は一人の人間が担ぎ演技できる最大の大きさ(重量で130~150kg)にまでなったようだ。

 その起源は垂れを附した傘に飾り物を乗せたもの、衣笠であるとも言われる。衣笠は織物にて張り、長柄の傘で古来絵画の中にも見ることが出来る。

次の様なご意見もあります。

町内から諏訪神社へ向う道中において、必ず行列の先頭を歩きます。
一目見て、○○町と判ります。諏訪神社に担いで行き、73段の長坂の上から見られた神様が、傘鉾に乗られます。神様をお乗せし、町にお連れします。そしてその神様に町は守られます。
傘鉾を回すことにより、氏子の願い事の数々を聞き疲れた神様の霊力は、蘇ります。
その神様の力を、家々の前に置いて回るのが、本来の庭先回りです。
八百万の神様の中より、一番いい神様に乗って頂くため、町々は、競い合い、お金をかけ、織物、刺繍を施し、現在作れば1億するほどの垂れを作りました。

その意匠

傘鉾は、

飾(ダシ)と呼ばれる、傘の上部に置かれる飾り物

輪と呼ばれる傘のまわりに取付けられる円状の物

垂れと呼ばれる傘の周囲から下げられる物

にわけられる。

その意匠は「町名に因むもの」「字音によるもの」「町の歴史によるもの」「奉納踊と合わせたもの(というより傘鉾に踊を合わせていると言うべきか)」 を基本に造られる。

飾としては

神に因むものは 鳥居、御幣、神鏡、冠、烏帽子、中啓、神楽鈴、釣太鼓、

楽器は 〆太鼓、小鼓、笛、笙、銅鑼、喇叭、陣太鼓

器物は、時計、槌、宝珠、熨斗、杯、筆筒、印材、書籍、巻物、印籠、巾着、寶袋、香炉、茶釜、虫篭、投網、麹盖

武具は 兜、弓、矢、刀、鍔、目貫、軍扇、采配

植物は 楓、松、榊、梅、櫻、芦、薄、菊、川骨、杜若、熊笹

動物は 鷲、鷹、鶴、鷺、鳩、鶏、鶺鴒、鼠、蛤、蟹、海老、鯛、鯱、象

人物は 順風耳、千里眼、鍛冶工、阿蘭陀人(昔は楠公親子、兒島高徳、橘宗近などもあった) 天象物 月

また昭牌などに町名を記する場合も多い。この場合、行草篆隷あるいは国字古より書家を撰んで題するようだ。 飾りは前後左右どこからでも鑑賞に堪えられるようにされている。

輪はビロード(この場合町名を漢字、場合によっては英文字で記する)、蛇篭、注連縄。(船大工町は輪は使用しない)

垂れについては飾に合わせたもののほか、三社紋を地紋にしたり、織出、刺繍にし配する場合が多い。 刺繍については「長崎刺繍」と呼ばれる立体感のある刺繍が施されているものもある。 垂れは昔は前日、後日で変えていたようだが、そうするのは今では一部の町のみとなっている。

傘鉾の中にはリンと呼ばれる鈴が取付けられている。傘鉾持ちは、場面によって、この鈴を鳴らしたり、わざと鳴らさないように歩き方を変えて持ち歩く。踊場場へ向う町の行列の先頭に「チリン・・チリン・・」とリンを鳴らしながら進む傘鉾の姿は、その意匠の厳かさと合わせ秋の長崎を彩るのにふさわしい。

その構造

傘鉾の中心には心棒が通っており、そこには肩当部分の横木、両手で握る横木がそれぞれ配してある。心棒から肩当には布団が巻付けてあり傘鉾持ちとの間のクッションの役割を果す。また心棒の下端には一文銭が2500~3000枚結び付けてある。これは上部の飾りとの重量バランスをとる為である。