栄町
栄町(さかえまち)
昭和38年に袋町(全部)と本紺屋町(一部)と酒屋町(一部)が
合併して出来た町。
傘鉾
<傘鉾飾>
四季模様を大和絵で書いた貝2組に紅葉を配す。(元酒屋町の飾り)
<輪>
ビロード
<傘鉾垂>
塩瀬羽二重金糸にて三社紋。
奉納踊
「本踊」、昭和52年から「阿蘭陀万才」
演し物の変遷
昭和45年
- 本踊『邯鄲園菊蝶(女伊達)(かんたんそののきくちょう)』
昭和52年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀万才(おらんだまんざい)』
昭和59年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀万才(おらんだまんざい)』
平成4年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀萬歳(おらんだまんざい)』
平成11年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀萬歳(おらんだまんざい)』
平成18年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀萬歳(おらんだまんざい)』
平成25年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀萬歳(おらんだまんざい)』
令和2年
- 奉納辞退
令和3年
- 奉納辞退
令和4年
- 奉納延期
令和5年
- 本踊 新邦楽『阿蘭陀萬歳(おらんだまんざい)』
永島正一氏は、栄町を以下のように紹介しています。
<袋町>
袋町の傘鉾は、どっしりとして重量感があった。大きな宝袋がデンと据わっていた。
角を落とした四ツ足の折敷に金襴(きんらん)の宝袋、袋の上に黄金の宝飾を盛り、白ねずみ二匹遊ぶという趣向。
輪はシメ飾り、タレは紺地の金糸で、雲中のキリン、ほうおうの鳥を織り出したもの。
町名にちなんだ傘鉾。この町の出し物を見ると本踊りで「隅田川花御所染」前日「神霊灼然(いやちこ)国家礎」後日、「出世鯉名画一軸」前日、「五大力」後日、「隅田川鯉魚一軸」前日、「神明恵和合取組」などが明治、大正の出し物。
「出世鯉名画一軸」は御殿の場、返して鯉(こい)つかみの場。
市川右団次の「鯉つかみ」を当て込んだもので、隅田川での松若、甚左両名の鯉つかみには、本水(ほんみず)を使用、ズップリぬれての大芝居、長坂連をうならせたもの。
昭和31年には、酒屋町、袋町、本紺屋町合同で、「眼鏡橋町」で本踊り「伊達姿秩賑」を出した。
<酒屋町>
酒屋町といえば戦前は松田家一統の町、傘鉾も松田家の一手持ちであった。
今は、袋町、酒屋町、本紺屋町は栄町の中に入る。こういう町名は残しておくべきであった。
傘鉾は見(貝?)合わせの蛤(はまぐり)四個、蛤には四季の源氏絵、楓(かえで)の根締めに熊笹(くまざさ)。輪はシメ飾り、タレは白
茶塩瀬に三社紋の織り出し。
大正10年は、松田順次氏一手持ち。昭和3年は、松田嘉一氏一手持ち。
この町の出し物も本踊り。明治の頃は「胡蝶の舞」(前日)、「演舞鶴亀」(後日)、大正に入ると「今様夜遊の曲」(前日)、「神垣匂菊盃」(後日)「二人」などど変わる。
「胡蝶の舞」、「演舞鶴亀」は中村福栄の指導、特に胡蝶の舞は新曲、夢幻楽劇と銘打った創作舞踊、意欲的作品というところであったろう。
昭和3年の出演者のなかに、町検の玉勇、一二、小初、ひな鶴、関弥などの名がある。
(昭和53年長崎新聞「くんち長崎」より)
越中哲也氏は、栄町を以下のように紹介しています。
この町も戦後、旧袋町を中心にして、本紺屋町と酒屋町の一部が統合して、つくられた新町名の町である。旧袋町の奉納踊りは、本ものの水をつかった大道具の滝の水の中より、鯉をつかんであらわれるという大歌舞伎で、袋町の「鯉つかみ」といって、大へん評判の高いものだった。昭和59年の奉納踊りには、長崎の芸能としてはふさわしい阿蘭陀万才を出している。
(昭和62年長崎フォトサービス「くんち長崎」より)
参照
編集者(松尾)
このページは栄町に関する書きかけ原稿です。