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玉園町

玉園町(たまぞのまち)

[地図]

 昭和38年に上筑後町の全部と東上町の一部、下筑後町の一部を合わせて現玉園町となっている。
玉園山の下にあるのでこの町名になった。

傘鉾

<飾>
玉垣に榊と朱の八つ足の上に烏帽子と鈴を置き、中啓をあしらう。

<輪>
しめ縄。

<垂>
(前日)塩瀬羽二重「旭に雲の曙」
(後日)塩瀬羽二重「秋の七草」

傘鉾(クリックで拡大) 傘鉾(クリックで拡大)

奉納踊

「獅子踊」

獅子踊(クリックで拡大)

 越中哲也氏は、玉園町を以下のように紹介しています。

この町は旧上筑後と東上町の一部が統合して新町名の玉園町となっている。
新町名の由来は氏神、諏訪神社がある玉園山の、すぐ、そばにあるということより名ずけられている。
昔、筑後町にはジャガタラお春の住居があったところであるとして町内の聖福寺の境内にはお春の歌碑や、九代目市川団十郎建立の祖先追善供養の碑がたっている。
この町の奉納踊りは昔より獅子舞であり、筑後獅子と評判のものであったが昭和初年すでに、その伝統を失ったので前回(昭和51年)は長与町の人達に協力を願って二頭の勇壮な獅子舞を奉納している。
「(昭和62年長崎フォトサービス「長崎くんち」より)」

参照

玉園町自治会(平成24年)
踊町

編集者(  )
このページは玉園町に関する書きかけ原稿です。