油屋町
長崎市油屋町
郵便番号:850-0832
油屋町は、元県庁から浜町を通ってつづく国道324号線が町を貫いて郊外へとのびる旧踊町のいちばん南に位置する町で、1番から6番までの街区で構成されている。
(昭和41年からは八坂町の1部を加えた街区となっているが、踊町は昔のままの街区で出場)
昔はその名の通り油屋がならび、市中の油販売の権利一切を油屋町が持っていたと言われているが、現在は、衣料品店や食料品店の建ち並ぶ商店街となっている。
奉納踊 (現在)
傘鉾
- (飾り)
飾りは「畳の上に三方を置き、熨斗を献上する意匠となっている。 その熨斗が落ちない様に宝玉で押さえてある。」
- (垂れ)
垂れは、前日(7日)と後日(9日)で意匠が変わる。 中日(8日)は前日と同じ物を使う。- (前日の垂れ)
深紅の塩瀬に波と朝日をあしらう。(平成18年旧意匠のまま新調) - (後日の垂れ)
緑地の塩瀬に金糸にて三社紋を刺繍したもの。
- (前日の垂れ)
- (輪)注連縄
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川船 (かわふね)
- (船体)
(長さ)6メートル、(幅)1.8メートル、(高さ)4メートル、(重さ)約3トン
総檜造り(そうひのきづくり)
昭和55年制作
- (船飾り)
楓(かえで)紅葉(もみじ)に魚籠(びく)と網を配し、薄(すすき)を添える」もの。
これには、次の様な意味がある。
「宝玉」=タマ、「薄(すすき)」=オバナ、「魚籠」=ビク
「楓紅葉」=カエデ、「網の上の輪」=ワ
これらの先頭の文字を続けて読むと、タマオビカワ=「玉帯川」となる。 (玉帯川は油屋町の横を流れている川で今は暗渠となっている)
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- (囃子の構成)
楽器は、大太鼓−1個、大鐘−1個、小鐘−2個、〆太鼓−2個
囃方は小学校4年生から6年生の男女で構成される。(場合によっては3年生や中学1年生まで拡大される事もある)
6人1組×2=12人- 囃子の種類は・・・
「道行(みちゆき)」「網待ち(あみまち)」「網打ち(あみうち)」「走り(はしり)」「まわし」「根曳唄(ねびきうた)」「庭先(にわさき)」の7つ。
- 囃子の種類は・・・
- (采振(さいふり)、根曳(ねびき))
- 采振は、船の動きを根曳に指示をして制御する役目をする人。
采振の中でも、一番の船の責任者を「長采振(ながさいふり)」と呼ぶ。
長采振=1人、采振=4人 - 根曳は、船の推進装置の役目をする人で、右舷8人、左舷8人の16人で重い船を曳く。 諏訪神社など踊場所では船を廻したりして演技をする。(交代は無し)
- 采振は、船の動きを根曳に指示をして制御する役目をする人。
奉納踊(旧)
昭和41年迄は、主に「本踊」で田植え踊りなどを奉納していたと言われている。
昭和6年の番付には、前日「舞扇園の梅」、後日「花合戦伊達舞衣」とある。 昔は、傘鉾の垂れと同じく、前日と後日で演目が変わっていたのである。
戦後は、最初の奉納が昭和27年でこの年は剣舞「日本刀大楠公」を奉納。この頃は剣舞が流行っていたのか東中町も剣舞を奉納している。
昭和34年は本踊「瑞穂賑神楽囃子(みずほのにぎわいかぐらはやし)」を奉納。三味線などの地方に加えてトランペット、アコーデオン、クラリネット、フリュートの洋楽が付いている。ハイカラな構成である。
昭和41年は本踊「勢獅子劇場花籠(きおいじしかぶきのはなかご)」で検番のお姐さん方の踊りに町内子供連18人の踊りが付いた。この年は出場が油屋町、鍛冶屋町、元船町の3ヶ町で新橋町と本籠町が特別参加されている。ちょっと長崎くんちが寂しい頃である。
昭和48年からは本踊に変わって、現在につながる「川船」を出す事になる。
参照リンク
踊町
油屋町川船ホームページ(外部リンク)
編集者:(松尾)
このページは油屋町に関する書きかけ原稿です。